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You're A Big Girl Now

日常に変化があったときは日記を書こう。




先日、自転車で車道から歩道に入ろうとしたところ、変に段差に乗り上げまして派手に転倒。
左ひじを痛めたのですぐ左腕プラーンの状態で病院に行ったら骨折してました。
ひびが入ったらしい。




私と骨折の歴史。
それは小学生時代にさかのぼります。友達とドッジボールの際に左手小指をボールに引っ掛け
ひびが入ったあのとき。それ以来、久々の大怪我で現在腕を吊ってます。



こうして腕を吊りながら世の中を眺めていると、色々見えてこなかったことが見えてくる。
まず一つは街行く人ってみな健康だなってこと。
玄関を出るときにふと、今白い布を掛けて腕をプランとしているのって、
もしかして私だけなんじゃないかという不安に襲われます。
こんな奴誰もいないじゃないか。




もう一つは、意外と人が親切だってこと。
図書館に赴くと職員の人はみな借りた本を私のかばんに入れてくれます。
昨日なんかこの若さで、おねえさんに電車で席を譲ってもらいましたよ。
腕だからあんま関係ないのにね。
左手を吊るして遠くを見つめる私の悲しみフェイスが彼女の心に何かを訴えたのでしょう。




そして最後に、人間のデザインってうまくできてるんだなってこと。
二本だと簡単なのに、一本腕で急に難易度が上がる仕事が多すぎます。
とりあえず鼻はうまくかめません。




学友からは利き手じゃなくってよかったねの声をいただきましたが、
私は普段利き手のポケットには定期券だけを入れる主義だったのが、
音楽プレイヤー、ティッシュ、ハンカチ、家の鍵などが右のポッケに大集合してしまうのが目下の最大の問題であります。
論文?うるちゃいうるちゃい!!
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  1. 2013/06/06(木) 01:00:40|
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If you let me stay

実は僕は無類のディズニー好きである。
子供の頃など、山ちゃんの声じゃないドナルドのビデオを
よく見ていた記憶がある。



そんな僕だが、ディズニーランドに最後に行ったのは10年前になる。
小学校卒業記念で友人たちと三月に訪れて以来、あの国の土は踏んでいない。




ディズニーは好き。だが、ランドがだめなのだ。
僕は遊園地が嫌いだ。何よりも待つのが嫌いだし、人ごみも嫌いだ。
人ごみが嫌いだというとなんだか静かなところで仕事したい天才きどりにみえそうなのは承知の上で、
自分はあの人ごみの一員となんらかわりのない凡才だという事も承知の上で、
それでもやはり嫌いなものは嫌いである。




アトラクションの楽しさもよくわからない。




ジェットコースターに乗る人は何を求めるのか。
スリルである。僕は常日頃、「安全」を求めて家に鍵をかけたり、保険に入ったりしている。
ジェットコースターに乗る人たちは「危険」にお金をかける一方で、
家に帰ったらやはり僕と一緒に「安全」にも金を払っているのである。
これは大いなる矛盾ではないか。




これこそ僕の提唱する「ジェットコースターのパラドックス」である。




あなたがもし僕を遊園地に誘ったとき、僕が妙な顔つきをしていたら
上の文章を読んでみてほしい。





僕は別に絶叫マシンが怖いのではないのだよ。

僕は別に、絶叫マシンが怖いのでは、ないのだよ。
  1. 2012/11/14(水) 17:42:14|
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They reminisce over you (T.R.O.Y.)

一人の人間の知識は、それまでの人生の結晶である。



誰一人として、自分以外の人生は歩めない。
だから、ある人がある人の知識や考え方を完全に包含することはありえない。



僕たちはいつも「任意の二元は比較可能」だと思ってしまう。
一本の数直線で事足りるという考え方だ。たしかに足の速さだったら時間軸ひとつで良い。
しかし世の中はそう簡単にはできていないはずだ。




「頭の良さ」などは、本当は比較可能ではないのだ。偏差値という言葉を使うとき、
僕達は大学受験という限られたレールの上で仮想的なレースをしているに過ぎない。
たとえば数学に関していえばある人がある人より数学に詳しいということはあり得そうだし、
その結果が偏差値として一直線に並ぶのもある程度もっともらしいという事になる。




しかしこのレースは、知識が比較可能な程度に限定されているから可能なのである。
たとえ偏差値60だとか70とかいっても、それ自体が「高校レベル」の発想、あえて言えば低レベルな発想なのだ。
大学院では全国偏差値なんてものは絶対に出ないだろう。




例えば同じ数学科内でも、
代数、解析、幾何、少しでも違えばお互いに言っている事は全くわからないと思う。
代数学者と幾何学者どちらが頭が良いかを決める議論が不毛である事は論を待たないだろう。
専門化が進めばもう比較は不可能なのだ。




かのフィールズ賞受賞者、小平邦彦は「専門バカでないものはただのバカである」
と言ったという。このような状況は、科学が発展し、社会が知識を要求するにつれて顕著になるだろう。




教養という言葉の意味も揺らぐはずだ。漢文だけ読めれば大丈夫だった平安時代とは違い、
現代人の我々は教養と呼ぶには膨大すぎる科学的・文学的・社会的な知識に飲み込まれている。
増え続ける知識に対して、人の一生として与えられた時間はだんだん足りなくなってきていると小平邦彦は言っているのだろう。
今や、専門分野ごとにそれぞれ独立した教養が出来上がってきているといっていい。
たとえば代数幾何ならばhartshorneが、キリスト教なら聖書が、G-funkならgeorge clintonが、というように…




だから僕に文系かもくのはなしをふらないこと!!!
  1. 2012/09/30(日) 23:31:13|
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looking through patient eyes

一人の大人として非常に格好悪いことだとは思っているのだが、正直に告白すると、
政治に全く興味が持てない。




テレビで政治家の主張を聞いても自分の理想を余すことなく体現する人はいないし、
しかたなく選んだところでその人が当選するとは限らない。




数学は私の計算用紙の上では私の思い通りなのに対して、
政治は私一人の思い通りにいかないのだ。だから、面白味がない。
自分の人生をいくら政治に費やしたところで、世間に影響を与えるような行動ができるとは思えないのだ。
そして私はつけっぱなしのテレビでゲームを始めてしまう。
もちろん、大人としては恥ずべきことと知りながら……




私が分析するに、マリオが自分の思い通りに動くこと
これが「スーパーマリオ」大ヒットの要因である。我ながら、すばらしい分析である。




私がキーを倒せば、マリオは走る。
ボタンを押せばジャンプする。なんとも爽快だ。




だから私の操り人形となるような政治家が手に入れば
私にとっての政治はグッと面白くなるはずなのだが
コントローラーのボタンを押してもテレビの中の政治家達は何もしない。
「先客」がいるのかな………?
  1. 2012/09/26(水) 14:51:36|
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ヤツの話

ゴキブリホイホイに、ゴキブリのイラストをのせるんじゃない!!!!
私は憤っている。





私はゴキブリが嫌いだ。というかまず虫が嫌いだ。
中学受験の理科の教科書に出てくる虫の図は覚えなかった。
ページいっぱいの虫なんて、気持ち悪いからね。
受験には落ちたからね。




ゴキブリのゴの字も見たくないほど嫌いなのだ。
したがって、以後は「ヤツ」と記す。




メーカーの方々には、今一度考えていただきたい。
ユーザーは何故「ホイホイ」を求めるのか。それはヤツを見たくないからだ。
視界に入れるのが嫌で商品を求めたのに、買ってみたらどうか。ヤツがいるじゃないか。
絵描いちゃったよ。




ヤツのかわいいデフォルメなんか誰が望むのか。
ホイホイは、まったくヤツを想起させない意匠が望ましい。
ハートマークとか。キティちゃんとかもいるとなお良い。
ミッキーマウスも良い。




まぁただ許可が下りるとは一切思えない。
  1. 2012/09/24(月) 20:33:16|
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